スプラを始めたきっかけ〜A+時代

今回はスプラトゥーンについてだが、長くなるので数回に分けて執筆する。

 


スプラトゥーンは確か2015年5月30日あたりに発売されたが、私が購入したのはその1週間後だった。存在はCMで知っていたが、CMではTPSであることは明言されていなく、ただ街並み(渋谷だと認識していた)をインクで塗ることだけしか情報がなかった。その為、街単位で壮大な落書きをしてストレスを発散する幼児向けのゲームだと思っており、一切興味を示さなかった。

だがその後購入した友達がめちゃくちゃ面白いと語ってるのが気になり、その友達の家に遊びに行ってプレイさせてもらうことにした。

結果、当初1時間くらい遊んで終わりにする予定だったところを6時間以上遊ぶくらいハマってしまった。私は帰宅途中の電車内でWiiUスプラトゥーンをポチッた。

 


買ってからというもの毎日10時間近く遊んだ。当時大学4年の6月だったが、本来300時間以上かかる卒業研究を40時間で終わらせ、研究室に行くのをやめてスプラに没頭した。

毎日高校時代の友達4人で通話しながらナワバリバトルをし続けた。ガチマッチが実装された後も殺伐とした空気は嫌だった為、1度もガチマには潜らずナワバった。

始めた頃は友達の中で1番弱かった。当時シューターは全くエイムが合わなかった+ホッケの通路を綺麗に塗れて気持ちいいことを理由にローラーを使っていた。

 


だがガチマ実装後もナワバリしかしなかったのは友達の中では私だけだった。段々とガチマの楽しさを覚えていった友達はナワバリをしなくなり、毎日1人でナワバリをする日々になった。LINEグループでも『俺今B-』『やっとBに上がれた』等のガチマの話のみになり、それ以降は友達とはあまり遊ばなくなってしまった。

私がそれでもガチマに潜らなかったのは、自分よりうまいであろう友達が最高Bなのに今自分が潜ったらC+程度までしかいけないと思っていたからである。私は強さを数値化する以上は最高点を取れないと気が済まないタチなので『A+にいける目処が立つ=友達がA+になる』まではガチマに行きたくなかった。

だが、しばらくは1人でナワバリで遊んでいたものの、いつまでもガチマをしないせいで1人話題に入れないのはつまらなかったので、変なプライドを捨て、6月中旬頃にガチマで自分の適正ウデマエを計測することにした。

結果、無敗でウデマエAになった。その後6月下旬までに1敗でA+、2敗でA+カンストまでいった。恐らくナワバリではローラーの塗り性能が低く勝率があまり良くなかったことで自分は友達より弱いと思い込んでいただけのようだった。

 


ガチマを潜り出すとナワバリ以上にハマってしまい毎日ガチマをしていたが、A+内にも敵がいなく、ガチマもつまらなくなってしまった。私はスプラ配信をしている強そうな人達をTwitterでフォローしていき、ガチマスナイプをして強者との戦いに明け暮れた。

そこで出会ったのがハクビシンという名のチャージャー使いである。当時チャージャー使いの強者はほとんどいなかった為、初めてハクビシン氏視点の動画を見た時は衝撃だった。私は毎日ハクビシン氏の放送へ行き、同じようにスナイプしている他の強者達と切磋琢磨した。

ハクビシン氏のスナイプ中に偶然他のゲームで遊んでた人と再開した。倭寇さんだ。

マッチングした時にまさかと思い検索し、倭寇さん本人であることを確認した。元々似た者同士だったこともあり、倭寇さんもローラーを使っていた為、2人でローラーの立ち回りの議論をするようになった。

主にこの2人のお陰で私は当時のローラー使いとしてトップクラスの実力がついたと思う。

 


次回はS+実装後〜初期カンスト勢になるまでの話。