結婚式を終えて。3/3

結婚式を終えて。3/3

 

 

 

③結婚式当日の出来事

 


この日1番緊張していたのは、新郎新婦ではなく、新婦の父だった。私は元よりあまり緊張しないタイプで、妻は本来死ぬほど緊張するタイプなのだが、「延期した時に既に1度結婚式をしたような感覚になってて、今回は2回目の結婚式って感覚だから全然余裕」ということだった。そう言いながら絶対本番ガチガチなるタイプだと思ってたが、本当に緊張することなく1日を終えていて驚いた。

一方、新婦の父(つまり義父)は自宅で何回もバージンロードを歩く練習をしていたにも関わらず当日ガチガチになっていた為、新婦が笑いながら入場する珍しい式になった。

 


結婚式は自己満になることが多いと聞いていたので、ゲストに快適な1日を送って欲しいという願いから色々と工夫を凝らした。

その中からいくつか話したい。これこそ自己満だが、今後式を挙げる人の参考にもなれば幸いだ。

まず、式場のアクセスである。披露宴ではアルコールを飲みたい人がほとんどだろうから電車で来れる場所、尚且つ、女性だと慣れない靴を履いてくる場合が多いと思い、駅から近いを前提条件として式場を探した。

次に、仕事関係の人を一切呼ばなかったことだ。これにより親族を除いた最年長が自分となり、誰も目上の人がいない為に全員が気兼ねなく楽しめる披露宴となった。これは自分で想像していた以上に良い方向にはたらき、非常にアットホームな雰囲気になったと思う。

最後に、お金を掛ける場面の厳選だ。結婚式は何も考えずにプランを組んでいくと500万円は軽く超えてしまう。かといってどこにもお金をかけないと質素な結婚式になってしまう。要はメリハリをつけることが大事だと思う。我々が特にお金を掛けたのは料理で、その中でも特にメインディッシュのお肉料理にかなり奮発した。実はお肉料理1品だけで7000円する。だからこそ最初の新郎挨拶でメインディッシュがめちゃくちゃ美味いと宣言してハードルを上げることが出来たし、ゲストも皆メインディッシュが出てくるのが楽しみになった(と信じたい)。

 


噂の7000円するメインディッシュ

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結婚式当日に驚いたことが、妻が緊張しなかったこと以外に3つある。

1つ目は披露宴会場の新郎新婦席にアルコールを捨てるバケツがあった事だ。アルコールを強要された時にこっそり捨てる用のバケツがあるという話だけは聞いたことあったが、他人の結婚式にも行ったことがなかった私は都市伝説のようなものだと思い込んでいた。

 


2つ目は新郎が普通料理を全部食べられない理由だ。新婦はお色直しで中座するタイミングが新郎よりずっと早いから食べられないのは分かるのだが、世の新郎はどれだけ食べるのが遅いのかと思っていた。結果的に私は全ての料理を食べ、更に食い意地が張っているので妻の残した料理も全部食べた。

結婚式が無事全て終わった後に介添え役の人と話していたところ、「最後の挨拶の原稿を復習しなかった分食べる時間を多く取れた」と分析された。新郎は披露宴の最初と最後に挨拶があるのだが、特に締めの挨拶は結構長く話す場合が多い為、新郎は披露宴中ひたすらカンペを読み返す人が多いらしい。私はというと、読み返すどころかカンペも作らず両方の挨拶をした。暗記に自信があったからではなく、その場に立った時に話す内容を決めようと思っていたからだ。カンペを作った場合は朝イチに介添え役に渡しておくのだが、ありませんと言ったらめちゃめちゃ驚かれた。

お陰(?)で本来カンペを読み返す時間も食べる時間に当てることが出来、挨拶も式の感想を交えつつ、それなりなものを披露出来た。

介添え役には、「カンペを読まなかった新郎は過去にもいたが、用意すらしなかった新郎は前代未聞だ」とちょっと呆れも含めた言い方をされた。

ちなみに新郎の締めの挨拶の前に新郎父の挨拶があるのだが、父もカンペを作らず挨拶をしていて親子だなとちょっとほっこりした。

 


3つ目が1番驚いたことなのだが、結婚式での誓いのキスはやり直しさせられることがあるらしい。

「1番の撮影ポイントなので、絶対に3秒チューして私とゲストの皆さんに撮影タイムを作って下さい!123!じゃなくて、1...2...3...ですからね!!3秒しないと神父さんからやり直しさせられますからね!これはマジです!」とカメラマンのおばさんに言われた。元々我々は1秒くらいと話し合っていたが、本当にやり直しになったらもっと恥ずかしいので、恥ずかしいのを堪えて3秒やり切った。参列していたゲストでこのブログを読んでいる人がいたら、「長いなと思ってごめんなさい」と謝ってほしい。

 


指輪交換の時に妻のネイルが取れてしまったこと以外はハプニング無く終えることが出来、終わった後はこれ以上ない程の達成感と疲労感と幸福感に襲われた。この感情を夫婦2人で共有したということが、今後の結婚生活において非常に大きなものになることは容易に想像がつく。「結婚式を行った夫婦の離婚率は1/8になる」という統計にも納得がいった。

これが結婚式費用の数百万の対価だと言うのなら、案外ぼったくりではなかったと思う。

 


結婚式をするまでは式に対して否定的だった私だが、今なら否定的だった過去の自分を論破する事が出来ると思う。元より好きな言葉だが、やはり”百聞は一見にしかず”これに勝るものはなかった。

結婚式を終えて。2/3

 

 

①結婚式場を選ぶまで

②結婚式の延期対応について

③結婚式当日の出来事

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今回は②について。

(追記:長くなってしまった為に3部構成にします。すみません。)

 


挙式1週間前の10月5日前後に台風19号が発生した。最初は沖縄付近をウロウロするだけで消えるとの予報だったが、その2日後には進路が180°変わって千葉県直撃コースとなった。それ以降、結婚式延期を決定するまでは本当に生きた心地がしなかった。

 


私は性格上、万が一まで考慮した行動を常日頃から心掛けている為、自分にとって予想外が起こることは珍しい。実は挙式日に台風が来ることは挙式日程を決めた8ヶ月前から予想していた。というのも、嫁が異常な程までに雨女だからこそ予想したことであった。

嘘だと思う人が多いかもしれないが、我々が遠出する日には必ず雨が降った。降水確率0%でも降った。披露宴の中で「○○や○○へ行った」といくつか紹介したが、例外無くその日は雨が降った。私は昔から晴れ男なので、子供の時から自分が楽しみにしている行事の日に雨が降ったことは1度もなかった。逆に嫁は大体雨や雪だったと言う。

このような事実があったからこそ、結婚式の日程を決める際には、台風が例年平均0.2個しか来ず、尚且つ気候もそれほど寒くはなく、晴れの特異日と言われる体育の日付近である10月12日を選んだ。これ以上ない程強く台風を警戒し、台風の来ない日程を読んで決めたにも関わらず、これ以上ない程強い台風を呼んでしまった。

 


ちなみに、ウエディングドレスの前撮りの日も台風だった。この日程はこちらで決めることが出来なかった為、1番台風が来やすい8月に設定されてしまい、順当に台風を呼んだ。

前撮り当日は横殴りの雨が降っていたが、途中奇跡的に10分程雨が止んでくれた為、カラードレスだけはチャペルの庭で撮影する事が出来た。

 

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窓をよく見ると横殴りの雨が降っていることが分かる。

 

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Twitterにも載せたこの写真は奇跡の1枚。

 


結婚式4日前。電車の計画運休が予定され、ほとんどのゲストが来れなくなる可能性が浮上。ここで結婚式の延期方法とキャンセル料について話さなければならない。

通常、結婚式に延期する方法はない。どうしても延期したい場合、現在予定されている結婚式をキャンセルし、また同じ内容で結婚式を企画するしかない為、キャンセル料が発生してしまう。キャンセル料は結婚式までの残り日数で割合が決まる。3週間前から100%になるのだが、参加人数だけは3日前までキャンセルが効く(つまり食事がキャンセル出来る)。その為、ここで取れる選択肢は①急遽参加予定ゲストに出席キャンセルするかを確認する。②参加人数変えずに決行。③参加人数を全てキャンセルし、結婚式を延期する。の3つだった。だがどれもハッピーストーリーではなく、選択肢を絞ることすら出来ずに結婚式3日前を迎えてしまう。

 


結婚式3日前。我々は断腸の思いで②参加人数を変えずに決行を選んだ。①は悩んでいる間に出欠を取り直す時間が無くなってしまった為に除外。③は食事代を除いてもキャンセル料が7桁かかってしまう為に、流石に選ぶことが出来なかった。それに、まだ結婚式が無償で延期出来る唯一の方法があった為に、我々はそれに賭けることにした。それは、「チャペルの破壊」である。

言ってることは犯罪者のようだが、結婚式の規約には「ホテル側の止むを得ない理由が発生した場合のみ、日程の延期を可とする」というものがある。つまり、台風がチャペルの窓等を割ってくれると”止むを得ない理由”に当たる為、結婚式を延期する事が出来るのである。非常に不謹慎だが、それまでずっと登場を憎んでいた「観測史上最も強い」と名高い台風19号にチャペルの破壊を願った。

 


結婚式2日前。昨日の願いを土下座して謝りたくなった。

この日は全く仕事をする気にならなかった為、突発で仕事を休んだ。するとAM11時頃、ホテルから連絡があった。ホテル側の判断により、キャンセル料無償で結婚式を延期する措置が決定されたという連絡だった。厳密には既に頼んでしまった生花と引出物とプチギフト代はかかってしまった為、20万弱の支払いは発生したが、これ以上ない措置に本当に感謝した。

後日ニュース番組を見ていると、結婚式が台風によってキャンセルされ、500万程のキャンセル料を払ったという夫婦がインタビューを受けていた。自分達がそうならずに本当に良かった…。

 


既に式場には当日使うアイテムの持込みをしていた為、後日預けていた荷物の引取りをしに式場へ行った。すると偶然我々と同じように結婚式を延期したカップルも荷物の引取りに来ていた。その2人は完全にお通夜状態で、担当のプランナーさんも何と声をかけていいのか分からなくなるくらいに落ち込んでいた。その逆に我々は無事延期出来た安堵からむしろテンションは高かった。8ヶ月前から「妻が雨女なので」と言いながら台風を気にして日程を決めた私を笑っていたプランナーさんに「前撮りに引き続き式本番まで本当に台風を呼ぶとは凄いですね…!」と言われて笑った。妻は、「次 職に就く時は雨が降らずに困ってる人達の元へ行く仕事をします」と返答していた。

結婚式を終えて。1/3

 


2月15日、今度こそ無事我々の結婚式が終わった。今度こそ、というのも元々は2019年10月12日挙式予定だったのが、台風19号で電車が計画運休してしまった影響により止む無く延期したからだ。

このブログでは、

①結婚式場を選ぶまで

②結婚式の延期対応について

③結婚式当日の出来事

を書き連ねようと思う。

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そもそも私には当初結婚式への意欲も無く、嫁の両親がやって欲しいと言うからやるくらいの心持ちだった。Twitterでもたまに見かけるが、数百万使って行う結婚式より、その数百万で何回も家族旅行に行った方がいいと思っていたからだ。

ただ、両親の気持ちから言えば1人娘の晴れ姿を見たいという気持ちは十分理解出来るし、(言われてはいないが)それを遥か昔から夢見ていたことだろう。その夢を叶えたく、入籍してから1年後に式を挙げることにした。

 


結論から言うと、結婚式を挙げて良かった。

結婚式前日まで、結婚式に数百万の価値はないと思っていたが、そんなことは決してなかった。もしかするとそう思ったのは、私が他人の結婚式にも行ったことがなく、人生初の結婚式が自分自身のものだったからかもしれない。

勿論、結婚式費用を家族旅行に当てる方がいいという考え自体は大いに有りだと思うが、結婚式に1度も行ったことがない状態でそう考えていたのは浅はかだったと反省した。

 


私達が結婚式を選び始めたのは、ちょうど1年前の2019年2月初旬からである。某サイトから気になった式場の見学を片っ端から予約し、毎週末式場へ通った。

ちなみに予約時点での私は式場見学に行くのが死ぬほど面倒臭く、予約も全て嫁に任せてしまっていた。それくらい結婚式は面倒だと感じていたのだが、それは嫌々1つ目の式場見学をしに行った瞬間から豹変した。式場見学がめちゃくちゃ楽しかったからだ。

 


楽しかった1番の理由は、実際に提供しているコース料理がタダで食べる事が出来るからだ。基本はハーフコースの為、全てを食べられる訳ではないが、式場も選んでもらいたいが故に提供するメニューは基本その式場で選べる最高級に近いものを出してくる。ハーフコースとは言え、普通に食べれば1人1万円はするようなメニューなので、2人で2万円の高級コースをタダで食べられるのである。ハーフコースの量は、ファミレスのオムライス+サイドメニュー1つ+ドリンクバーくらいの量の為、女性は割とそれだけでお腹いっぱいになり、私のような大食いの男性でもそれなりに満足出来る。

何故例えのメニューにドリンクバーをつけたかと言うと、多くの式場ではコース料理提供中はアルコールも無料で飲めるからだ。私はアルコールに弱い為あまり飲まなかったが、毎週末のお昼ご飯が無料の高級コース+アルコールだったら楽しくない方が不思議だろう。式場見学は男女であれば誰でも可能な為、友達とでもカップルのフリをすればタダ飯に行ける。その後の式場案内等も見ないといけない制約はあるが、興味があればどうぞ。

 


式場見学の主な流れは

①式場(チャペル)の見学+模擬挙式

②コース試食

③大まかな見積もり

これらの3つである。

模擬挙式というのは、式場が用意した新郎新婦役の2人が挙式の流れを本番さながらに行うことである。見学者は参列者として見ることになる。

実はこれも意外と面白い。単純に参考になるのも勿論だが、式場によっては新郎新婦役にモデルを使っていることがあり、美男美女のウエディング衣装を見ることが出来る。ウエディングドレス補正もあるが、この時見た女性は私が今まで見た女性の中で1番美人だった。可愛い女の子大好きな嫁は、そのモデルの女性にお近付きになって連絡先を交換出来ないか1時間くらい真剣に悩んでいた。

目の保養にピッタリな模擬挙式だが、式場によってはマジでただのおばさんが花嫁姿で出てきたりするので、私のように入場してきた瞬間声を出して笑わないように気を付けてほしい。

 


③の見積もりに関しては流石に面白い点はないが、本気で挙式を考えるのならここが1番大事であるから、ここでは僭越ながら先駆者として結婚式を出来るだけ安く抑えるコツを簡単に伝えたい。

大前提として、結婚式というのは式場からすれば提供している商品の1つであり、その値段の決め方は、水500mlで例えると「本体価格100円に幸せ課税400円を加え合計500円」といった決め方である。要はぼったくりだ。

つまり我々消費者からすると、ぼったくり要素である幸せ課税をどれだけ値切ることが出来るかがカギとなる。その為にはこの業界の相場を知る必要があり、更にその為には式場見学を数こなし、見積もり数を増やすしかない。既に挙式を終えている人に相談するのも有効な手段であるので、相談して頂ければ私は喜んで協力するし、私よりもっと身近な人に相談するのもいいだろう。

 


最後に式場選びについて1つだけ言わせて貰うと東京23区内のホテルは絶対に選ばない方がいい。

※理由は見学に行けば分かると思うけど、知りたい人は聞いてくれれば答えます。

 

スプラを始めたきっかけ〜A+時代

今回はスプラトゥーンについてだが、長くなるので数回に分けて執筆する。

 


スプラトゥーンは確か2015年5月30日あたりに発売されたが、私が購入したのはその1週間後だった。存在はCMで知っていたが、CMではTPSであることは明言されていなく、ただ街並み(渋谷だと認識していた)をインクで塗ることだけしか情報がなかった。その為、街単位で壮大な落書きをしてストレスを発散する幼児向けのゲームだと思っており、一切興味を示さなかった。

だがその後購入した友達がめちゃくちゃ面白いと語ってるのが気になり、その友達の家に遊びに行ってプレイさせてもらうことにした。

結果、当初1時間くらい遊んで終わりにする予定だったところを6時間以上遊ぶくらいハマってしまった。私は帰宅途中の電車内でWiiUスプラトゥーンをポチッた。

 


買ってからというもの毎日10時間近く遊んだ。当時大学4年の6月だったが、本来300時間以上かかる卒業研究を40時間で終わらせ、研究室に行くのをやめてスプラに没頭した。

毎日高校時代の友達4人で通話しながらナワバリバトルをし続けた。ガチマッチが実装された後も殺伐とした空気は嫌だった為、1度もガチマには潜らずナワバった。

始めた頃は友達の中で1番弱かった。当時シューターは全くエイムが合わなかった+ホッケの通路を綺麗に塗れて気持ちいいことを理由にローラーを使っていた。

 


だがガチマ実装後もナワバリしかしなかったのは友達の中では私だけだった。段々とガチマの楽しさを覚えていった友達はナワバリをしなくなり、毎日1人でナワバリをする日々になった。LINEグループでも『俺今B-』『やっとBに上がれた』等のガチマの話のみになり、それ以降は友達とはあまり遊ばなくなってしまった。

私がそれでもガチマに潜らなかったのは、自分よりうまいであろう友達が最高Bなのに今自分が潜ったらC+程度までしかいけないと思っていたからである。私は強さを数値化する以上は最高点を取れないと気が済まないタチなので『A+にいける目処が立つ=友達がA+になる』まではガチマに行きたくなかった。

だが、しばらくは1人でナワバリで遊んでいたものの、いつまでもガチマをしないせいで1人話題に入れないのはつまらなかったので、変なプライドを捨て、6月中旬頃にガチマで自分の適正ウデマエを計測することにした。

結果、無敗でウデマエAになった。その後6月下旬までに1敗でA+、2敗でA+カンストまでいった。恐らくナワバリではローラーの塗り性能が低く勝率があまり良くなかったことで自分は友達より弱いと思い込んでいただけのようだった。

 


ガチマを潜り出すとナワバリ以上にハマってしまい毎日ガチマをしていたが、A+内にも敵がいなく、ガチマもつまらなくなってしまった。私はスプラ配信をしている強そうな人達をTwitterでフォローしていき、ガチマスナイプをして強者との戦いに明け暮れた。

そこで出会ったのがハクビシンという名のチャージャー使いである。当時チャージャー使いの強者はほとんどいなかった為、初めてハクビシン氏視点の動画を見た時は衝撃だった。私は毎日ハクビシン氏の放送へ行き、同じようにスナイプしている他の強者達と切磋琢磨した。

ハクビシン氏のスナイプ中に偶然他のゲームで遊んでた人と再開した。倭寇さんだ。

マッチングした時にまさかと思い検索し、倭寇さん本人であることを確認した。元々似た者同士だったこともあり、倭寇さんもローラーを使っていた為、2人でローラーの立ち回りの議論をするようになった。

主にこの2人のお陰で私は当時のローラー使いとしてトップクラスの実力がついたと思う。

 


次回はS+実装後〜初期カンスト勢になるまでの話。

ゲーム遍歴Part4

 


今回はネトゲイクシオンサーガについて。

当時イクシオンサーガDTというアニメが放映されていた。所謂異世界ファンタジーの作品だが、DTとは童貞の略であり、下ネタがかなり多かった。そのアニメのCMでネトゲイクシオンサーガの宣伝がされており、アニメのキャラを動かして戦うのは面白そうと思い、友達3人を誘い一緒に始めた。

 


始めてみると内容はアニメとは全く違い、アニメキャラも全く出てこない。ルールはストライカー、ガンナー、キャスターの3職を使い、3つの拠点を奪い合う陣取りゲームである。スプラトゥーンやコンパスといったゲームにかなり近い。思ってたものとは違ったが非常に面白かった。8vs8のバトルだが、初心者4人でパーティを組んでいた為最初は全く勝てなかった。次第にコツを覚えていき、その界隈のキャスター上位勢として有名になった。そこでストライカー全一の人と友達になり、その人と一緒にギルドを設立した。私はそこのサブリーダーとなり、トップ3のギルドの1つとなった。


プレイヤーとしてはトップに立てたものの、ゲームに問題があった。新規プレイヤーには非常に厳しいゲームだったからだ。私が強くなる段階は省略しているものの、初めは本当に勝てなかった。最初はトータル10時間やって2回ほどしか勝てなかった。それくらいキルに関してはPSの差が出る上、戦術ゲーム故に経験の差も大きかった。1週間くらい負け続けてようやくコツが掴め勝てるようになってきたものの、辞めずに続けられたのは友達4人でワイワイやっていたからだ。1人だったらコツを掴む前に辞めていたと思う。


加えて、私達3つのギルドの存在もゲーム上の問題となっていた。ギルド内でパーティを募集して試合をすれば無敗だった。それくらいずば抜けて強かった。ワンチャンも作らせない試合運びに初心者から上級者まで負けまくり、次第に「トップ3ギルドと当たったらつまらない」といった理由でゲームを引退する人が増えていた。私達がそれに気付いたのは異常なまでに3つのギルド同士のマッチングが多くなってからだった。このままでは対戦相手がいなくなるということで各ギルドの代表者で会議し、プレイ人口が充分に増えるまでチームを組むことを禁止とした。それにより試合も勝ったり負けたりのゲームにはなったが、3つのギルドの内1つはキッズの集まりで、そのキッズ軍団は約束を全く守らずにずっとチームを組んで遊んでいた。私達もチームを組んでいない状態ではキッズ軍団に歯が立たず、それまで自分達が初心者にしてきたことを思い知らされた。


決定的だったのは、このキッズ軍団がチートを使い始めたことだった。そのチートはこちらが確定コンボを喰らわせている間にゲームシステム上の欠陥を利用して本来有り得ないタイミングでスタンを入れてくるというものだった。これはタイミングさえ学べば誰でも使える技であり、本来ならコンボを決めればほぼ勝てるはずが、そのコンボを抜けつつ逆にコンボを決め返すことのできる最強技だった。このチート技も当然使うことを禁止としていたが、キッズ軍団はお構い無しに使ってきた。試合には勝てなくてもタイマンは勝てたので、そのキッズ軍団と当たる時はそれだけが楽しみだった筈なのに、タイマンすらチート技で負けるようになり、本当にキッズ軍団と戦う意味がなくなってしまった。


本来ならこういったユーザー減少対策やチート技は運営が修正すべきなのだが、運営は早々にこのゲームを見限り、一切アップデートをしなかった。チート技が流行してからは私達ギルドのメンバーも引退者が続出し、ゲーム全体でのアクティブユーザーすら16人以下になってしまった。しかもそのうちの8人はキッズ軍団である。つまりマッチング自体がほとんどされず、されたとしても相手はキッズ軍団確定ということである。私達はやむなく全員引退した。対戦相手がいなくなったことでキッズ軍団も引退せざるを得なかった。


キッズ軍団ではないもう1つのギルドとは仲が良かった為、たまに連絡を取り日時を決めて対抗戦という形で遊ぶことはあったが、キッズ軍団は暇人の集まりの為、誰か1人はアクティブユーザー数を監視しており、試合がマッチングしているのを発見するとメンバーに連絡し8人固定を組んで私達ギルド対抗戦に割り込んで来た。私達はマッチングしてから初めて対戦相手が違うことに気付き、キッズ軍団だと分かれば回線を落とし試合を放棄した。そこまでして初めてキッズ軍団は自分たちの過ちに気付き、チート技や当然のように行っていた煽り行為もやめるので対抗戦をしてほしいと懇願してきた。だが既に大多数のメンバーはキッズ軍団を毛嫌いしており、その対抗戦が行われることは無かった。


これらの話から何が言いたかったかと言うと、対人ゲームにおいて最も大事なのは「対戦相手がいる」ということだ。どんなに楽しいゲームでも対戦相手がいなければ遊ぶことすら出来ない。煽り等のスポーツマンシップ(?)に反した行為はプレイヤーを減少させる行為に等しく、自分の好きなゲームに悪影響しか及ばさない為、煽り行為は悪であると明言する。

流石に他のゲームはそれだけでサービス終了するようなことはほぼないだろうが、スプラトゥーンで例えると続編の制作に必要なアクティブユーザー数を割る可能性や、ガチマッチで煽ったことにより頭に血が上ったプレイヤーが次の試合で味方になって沼プレイをする可能性がある。つまり因果応報である。


ここまで煽り行為をしてはいけない理屈を述べたが、そもそも人が嫌な気持ちになる行為をしないという当たり前の倫理を守ろうねというだけの話だ。

ゲーム遍歴Part3

 


引き続きソシャゲについて。今回は白猫プロジェクト

友達の勧めによりリリース1ヶ月後からリセマラ開始、1番の当たりと言われていたクライヴでリセマラ完了。パズドラと違い大量に石を配っていた為、最高レアリティも難なく入手でき、攻略に困ることはなかった。また、周りの友達がかなり白猫への意欲と意識が高かった為、毎晩必ずSkypeで集まって協力プレイをしていた。1人でも敵にやられると罵詈雑言を浴びせられるのが日常であり、それを回避すべく互いにPSを磨き合った。

 


新しいイベントとして協力タイムアタックが登場した。2人のプレイヤーが協力してタイムを競うというものだ。こういったゲームではお決まりだが、最速タイムが出るとTwitterにスクショを貼ることが流行した。私は友達と全一記録を打ち立てた。本当に1位かは不明だが、仲間内で検索しまくってもそれ以上の記録は出てこなかったし、「これより速い人いますか」とスクショを載せたツイートはバズったが、そこに賞賛のコメントこそ付くものの、それ以上のスコアを載せる人はいなかった。

 


賞賛のコメントの中に1つだけ「良かったら一緒にやりませんか」と書かれたものがあった。そのコメントは検索した限り2位の記録保持者からだった。私達はぶっちぎりの1位だった為、2位としてはどこに差があるのか気になったのだという。

私は了承し、その日の夜に一緒にチャレンジする約束をした。それまでに相手がどんな人なのかツイートを遡って確かめることにした。相手はニコニコ動画投稿者でフォロワーも当時から数万規模だった。普段ニコニコ動画はあまり見ない私でもサイコロポケモンは見たことがあった。相手は倭寇さんだった。

 


私は相手を知らずに軽い気持ちで協力タイムアタックを了承したが、相手を知った途端に緊張した。サイコロポケモン以外のシリーズは一切見たことがなかったからだ。勝手なイメージだが、人気動画投稿者は自分のことを知っていて当然くらいに思ってると考えていた。協力タイムアタックしてる間にも「俺の動画どれが好き?」とか聞かれる可能性を考え、一気に恐怖した。私は約束の時間まで超高速で倭寇さんの動画シリーズを見て、内容を暗記した。幸い暗記は得意だった為、約束の時間までにほぼ全てのシリーズについて語れるようになった。

だがいざ通話してタイムアタックを始めると、相手は人気投稿者としての倭寇さんではなく、私達と同じくタイムアタックの限界に挑戦する1人のプレイヤーだった。投稿している動画の内容には一切触れることなく、白猫の話やプライベートの話しかしなかった。

20時に開始したタイムアタックだったが、結局朝の6時まで2人で挑戦し続けていた。当時私と友達が持っていた全一の記録は塗り替えられ、私と倭寇さんの記録が全一となった。

それ以降倭寇さんとはちょくちょく白猫で遊ぶようになった。その後互いに白猫を引退した後は疎遠になっていたが、スプラトゥーン1でまた再開し一緒に遊ぶようになる。スプラについて書く時にまた登場することになるだろう。

 


ちなみに倭寇さんは自分と私の記録が全一と思っているが、実は更にその後私は友達とタイムアタックに挑戦し、倭寇さんと出した記録を塗り替えている。倭寇さんには悪いので黙っていたが、こっそりニコニコにも記録動画を投稿している。

ゲーム遍歴Part2

 


今回はソシャゲについて話す。初めてプレイしたソシャゲはパズドラだった。大学の友達がやっているのを見てハマり、リセマラをして始めた。そしてリセマラで妥協した最初で最後のゲームでもある。

丁度ゴッドフェスが来ている時にリセマラを開始したのだが、当時のゴッドフェスは1/3の確率で金卵だった。当時はホルス最強時代だった為、ホルスもしくはラーでリセマラを終了させようと考えていた。ホルスやラーがピックアップされたゴッドフェスだった為、同時期にリセマラを始めた友達は皆すぐにホルスorラーを出しゲームを開始していた。

だが私だけ全く出なかった。1回10分のリセマラを63回やっても出たのはゴミ評価だったインドラが2回のみだった。当時のゴッドフェスは24時間限定だったのもあり、既に10時間リセマラしていた私は既に心が折れかけていた。その時64回目のリセマラで出たのがバステトだった。評価はホルスに比べると大きく下がるが、ここで妥協しないとゴッドフェスが終わってしまう為、今以上の地獄を見ることは明白だった。私はそれに耐えきれずバステトで妥協した。


バステトで妥協するも、その後出たレアキャラも全く大したものは出ず、パーティ編成も5色バラバラでしか組めなかった為、完全に劣化ホルスとしてしかバステトを使うことは出来なかった。これ以降に始めたソシャゲは全てリセマラは妥協せずに行っている。長いものだと2週間リセマラし続けたゲームもある。

 


思えばパズドラでは終始運がなかった。最も運が悪かったのは女の子ガチャだ。

ガチャの内容は☆4の女の子キャラが5人のみであり、単純に各々20%の確率で排出される。性能は正直ゴミであり、完全に見た目のみのキャラである。当時のパズドラには可愛い女の子キャラはほぼ存在せず、その中のルカという子が特に好みだった為、私は一瞬引きたくなったが、ただでさえバステトしかリーダーを持っていないにも関わらず実用性のないキャラを引きに行く余裕などなかった。しかし周りの友達は趣味で回していく。当然のように皆10回以内で全キャラコンプしていく。それでも私は引かなかった。


事件は国際展示場付近のサイゼリヤで起こった。その日はコミケ最終日で、コミケを終えた私達はサイゼリヤで休憩していた。すると既にコンプ済の友達2人が運試しと言いながら女の子ガチャをそれぞれ1回引いたのだ。しかも引いたのは2人とも私の推しのルカである。自分の好きな物のイベントに行ったことがある人なら分かると思うが、そういった日は財布の紐が緩みがちだ。私は普段からいつかホルスを引くために魔法石を常に100個ストックしていた上、コミケで目当ての物が買えなかったこともあり、金銭的にも余裕があった。1番運の悪かった友達すら10回でコンプしていたので50個あればコンプできる。更に言えば私はルカ以外興味がなかった為、ルカが出た時点でガチャをする意味が無くなる。最短魔法石5個でガチャが終了するのだ。既にコンプ済の友達が意味も無くノリだけで引いたこともあり、「ルカ出るまで引きます」と宣言をした。

結果、持っていた石100個全て使ってもルカだけが出なかった。だが宣言したこともあり、私は息をするかの如く課金した。人生初めての課金である。ここから石を1万円分、計170個追加して引いたが出なかった。文章ではこんなに簡単に書いているが、実際はメンタルを完全に破壊されつつ、最初にノリで引いた友達からも静止されるのを振り切りつつ引いた。私は楽しかったコミケの思い出を全て忘れ、虚無感のみを残してコミケ会場を後にした。


それで終わればまだ良かったのだが、家に帰ってから更に5000円分課金した。それでもまだ出なかった。もう一度言うが、ルカが出る確率は20%である。結果、トータル71回引いてルカは出なかった。71回引いて特定のキャラが出ない確率は0.8^71≒1/1000万である。これがどれくらい低い確率かと言うと、宝くじで2億当たる確率と同じである。私は実質2億円を失った(?)

 


余談だが、この1年後に女の子ガチャが再録された際にもう一度チャレンジした。3回目にしてルカを引き、1年越しの無念を晴らすことができた。